●令和五年元旦
皆様あけましておめでとうございます。
お健やかに新しい年をお迎えになられましたでしょうか。
毎年恒例の年越しお堂籠りにて、皆様の無事を祈念し天星尺に教えをいただき
山を降りてまいりました。
今年の山のお堂は雪もなく籠りやすく穏やかな時間でありました。
昨年は世界での戦いや静まらないコロナ・・相変わらず厳しい年でありました。
宗教につても然りであります。
何を以て新人となすのか。問い詰められた年でもありました。
日本には神と仏という信心の手段があります。
ご承知の通り神々は大自然の中で生かせていただいていることを知ることができ
仏教は救いを求める事ができます。
ところが、近年救いを求めている人々に何かしら違う方向でその「教え」を広めようとする事があります。
人は生きていると苦しみや悲しみどうしようもない壁にあたります。その時に救いを求めます。
人に手を合わせても仏像におすがりしても解決はしません。ただその時間が大切なのです。
神聖な道場に座る、その空間に自分をおいてみる・・。電車の中や遊技場では中々難しいと思います。
堂宇にお参りしようとしたその瞬間に信心は生まれ救いの道を歩んでいるのです。
どうか皆様間違った信心を持たず正しき道を歩みましょう。
三十一日神戸新聞に素晴らしい1面広告が登載されておりました。
この言葉を胸に今年一年弟子たちとともに精進して参ります。
令和五年一月一日
宮大工 大都流 三二代 当主
西嶋靖尚 鳳雲 九拝