●子安観音寺 老僧
ブログ{ジジの一言}から。
勉強になります。。。
私は 生涯において 3人の師僧に恵まれた。
最初の師僧は 昭和41年
当時の 高野山の宗務総長をしていた方で
法的に いうとこの方が 【師】だ。
ところが 私が 末弟に近かったのだろう。
もう少し お歳を召しておれば管長になって
おられただろうと 惜しまれた師は、
次に お出会いした時は お葬式の時だった。
次に お出会いした 師僧は
京都の 東寺の重鎮、事相 教相の大家で
日本全国の 僧侶に 教学を伝授していた。
東寺から出ている お教のdvdは 師のものだ。
彼は 【行】にも厳しく
弟子と一緒に 毎日、滝にうたれた。
そのお陰で 私も お護摩が焚け
教も 曲がりなりにも 唱えられるようになった。
そして その師僧も もういない。
今の 師僧は 師僧が高野山の教学部を辞して
寺に 帰り、香川支所長、高野山本山布教師として
活躍していた頃、うちの 先代が
『わたしの 息子は 仏教の 大学も出ていないし、
友達も いない。
兄として 1人前に 指導してやってくれないか』
と、な苗の膝を八重におり お願いしたものだ。
師僧は 宗教的なもの 一切合切 伝授してくれたが
それにも増して 【道徳心】を 教わった。
ご法事に いって お経が終わって
お話をするために お位牌に 尻を向けて
グルリと 座布団の上を回るのを 叱った。
鐘にしても 鈴にしても 叩けば なる。
その 音 1つが 供養している位牌のかたは勿論、
縁あって お参りしている皆さんが
『ああ 本当に 良い音だ』と
随喜の涙を 出すような 1打に しなければならない。
『なぜ そうするのか?』を 忘れ、
形だけを 重んじている お坊さんたちが
忘れさっていることを こと細かく 教えてくれた。
【孫悟空】に 三蔵法師が 登場する。
【三蔵】とは 教律論 3つが揃った高僧のことだ。
⚫︎[教蔵]
釈迦が 80年の人生で 私たちに解いてくれた
教えを 纏めたもの。
私は 教よりも それ自体が [釈迦]と 説く。
[得度]をし 2500年 連綿と続いた
釈迦の戒律を受けつがせて 頂いた
高野山の 総長を差し置いて 他には居ないだろう。
⚫︎[論蔵]
釈迦の 教えを まとめ上げたものに
注釈 解釈等をつけ 尚 一層 分かりやすくしたもの。
これは 2人目の 師、東寺の先生を差し置いて
居ないだろう。
釈迦の 教えに 注釈をつけて
お護摩とは こう、お教とは こうと
仏教の 意義を畳み込んで 頂いた。
⚫︎[律蔵]
私たちが 生活するうえでの
規則 道徳 生活様相を 備えたもの
今の 師僧には 生きている今、
何をしなければ ならないか。
釈迦の 教え、空海の教えの 実践を教えて貰った。
こんな [教律論]3拍子 そろった
師僧と 縁を結んでいただきながら
私の 不出来は
自身の能力の無さを 嘆かなければ ならない。
[歎異抄]の なかで 親鸞は こう言う。
【たとえ 法然上人に すかされまいらせて
念仏して 地獄にいちたりとも
更に 後悔すべからず そうろう】
《真実の 教え》に ようやく たどり着き、
師僧への 信頼の深さは
[地獄に 堕ちたとしても 後悔しない]という。
その前文に
[念仏は 本当に浄土に生まれる因なのか]
[逆に 地獄に堕ちる 行いなのか、
まったく わたしの 知るところではありません]
と、有るらしい。
一旦 こうと 決めたなら
天国にも 共に 昇り
事後樹のはてまで ご一緒しますよ
そう 言われているのだ。
さて 皆さん[師]は 何人 いますか ?
その [師]に 最期まで ついてゆきますか?
途中で 逃げますか ?
合掌