名医との出会い

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2013/2/20 水曜日 西嶋工務店より / カテゴリ : 堂宮大工のつれづれ草

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先日、縁あって二人の名医にお出会いした。

お一人目は、腰の痛みがあり久しぶりに幼馴染が開業しているクリニックにお世話になった。
彼は厳しい医術修行ののち十数年前に小さな町で開院し、地域密着の回診を行う優しい医者になっていた。

待合室で老患者さんとお話しているとこんなお話を聞かせていただいた。
「この先生は診ていただく度に私の身体に触れて叩いてどうですか?痛いですか?と聞いてくれるんです」

この世界では{触診}ということなのだろうか。おばあさんはとっても嬉しそうに受け答えされてる。

その上、近隣の噂ではこの先生は無口で触るだけなのに難しい病気を見つけてくれた!とか、触れたとこ以外に箇所に問題があるから
気をつけなさいとか言われた!等々・・いつしか名医になっていたのである。

もうお人方の先生は眼科医である。

この先生にも先代先生より大変お世話になっており私の恩人でもある。

診察から全てにおいて丁寧かつ安心できる先生であることに間違いないがこの先生にも{温情}を感じさせてくれる。
具合を診て施術を行い、その後必ずといっていいほど夜にお電話を頂く。
「具合どうかな?〇〇の状態はいいから心配しなくていいよ。。」

患者にとっては言葉は安ど感に繋がる。

考えてみれば近頃の医者様は、全てデーターを元に手も触れずコンピューターに向い受け答えをされる事が多くなっている。
これも時代と言えばそうではあるが何かしら寂しい思いをすることがある。

私達大工も同じことが言える。

今日も、依頼を受け古建築寺院の修復診断に上がってきた。
一見、外観からみると損傷ないように見える堂宇もよく観察し触れてみるとその痛みが手に取る等にわかってくる。。
時代を乗り越えた生きざまをも感じる。
それは人と同じで姿良くても実は骨に異常があり血管に詰まりがあるのと同じ事だ。

我々は神技を会得した宮大工でもない。神仏でもない。
名医名工とはその相対するモノと一つになることがまず大事である。

その為には休む事は許されない。 御身日々刹那に精進あるのみ。

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