●地蔵院 水子地蔵堂 位牌堂 建前

兵庫県赤穂市上郡 高嶺神社にて工事安全祈願祭を兼ねた遷座式が29日(日曜日)日が落ちた夜8時より
深澤宮司をはじめ神職と役職につかれた氏子の皆様参加のもと厳粛に厳かに執り行われました。
弊社は、当社殿の修復のご縁をいただき8月より着手いたします。
この度の修復は、本殿・幣拝殿・諸社の永年の痛みの修復となります。
~記録~
高嶺神社は天禄三年(972・平安時代中期)に山野里神田の地に勅命により祀られ、その後、現在の天王山に遷し祀られたと伝えられています。厄除け、豊業を始めとする諸生業、旅行、縁組等の神、牛頭天王[ゴズテンノウ]が祀られています。 今の本殿は、室町時代の建築様式をのこす貴重な建物で、慶安2年(1649・江戸時代初期)に造営され、享保20年(1735・江戸時代中頃)に修復されていますが、古材にはいっさい手をかけず、補強的工法にとめられています。
上郡町・上郡町教育委員会
仕事の関係で関東方面に行く用事があり帰り途、名古屋に立ち寄り久しぶりに名古屋城を見学してきました。
言うまでもなく徳川家康が築城した金の鯱鉾が有名な御城です。
現城は、昭和20年に空襲の為喪失し再建した城ではありますが展示の手法や事細かな仕事は立派な
棟梁が親方であったと感服いたします。
実はこの御城、先代親方とも深い縁があります。
先代、勉親方が16歳の頃、特別飛行隊(予科練)菊水隊という特攻命令を受けた横須賀の隊に所属しておりました。
終戦を迎え、横須賀から兵庫県に帰る国鉄の列車の中から空襲で燃え盛る名古屋城を横目に「城が大きな炎に包まれてる・・・日本も終わったな。。」
そう感じながら帰省したとの話をよく聞かされました。
その後、宮大工として修行に入り20代後半に全国を大工修行で行脚してるときに名古屋城の大工で柴原號斎とい大棟梁に出会いました。
その棟梁に数々の秘法を授かり、なんとありがたきかな名古屋城の設計図も拝受されたのです。
この設計図も我が流派の大切な宝となっております。
現在、本丸御殿が平成の名工達の皆さんによって普請されてます。
皆様も是非見学されると楽しいですよ。
無論、姫路城も見学に来て下さい (株)西嶋工務店の宮大工が居ますから!
~以下、名古屋城公式HP~
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